嫌いだった祖母の、大好きな背中

母が、彼女を「かあさん」と呼んでいたから、

私も、彼女を「かあさん」と呼んでいた。

でも、彼女の晩年は、「かあさん」なんて呼べなくなっていた。呼びかけ方も忘れる程、彼女を見ると、憎しみしか湧いてこなくなっていた。

 

 

晩年は、優しい言葉なんて、ひとつもかけたことがなかった。殆ど、言葉はかけなかった。聞いてほしい話題もなかったし。祖母も、私にあまり関心がなかったのか、私のことをほとんど知らなかったな。彼女の妄想のなかの私と、目の前の私とを相対比較し、一致しない所を洗いざらい嘆いていた。

 

 

田舎の人間関係。

私と祖母の不仲を心配するふりをして、人の不幸の蜜を吸いに来る人たち…。

本音を言えば、彼女と二人、仲良くするなんて簡単だったさ…。

ほんとうは、だれも、みんな仲良くなんて、思っちゃいなかったんだ…。

口で言うのは簡単さ。みんなで私を陰で非難し、自分の粗を棚に上げて、かりそめの安心をしていただけ。言っても通じないしね。やるせなくて、そこにはもういられなくなったから、家を出ることを選択した。そしたら彼女は亡くなった。

 

彼女が亡くなった日、最後に見たのは、彼女の背中だった。

亡くなる2か月前から、家の中から、彼女の気配はなくなっていた。あの頃の私は、近しい人が亡くなるときは、虫のしらせというのか、なにかしら、察知していた。

 

彼女の背中。

私の大好きな景色の一つだった。

彼女に限らず、私は、人の背中を見るのが好きだ。

きっと、自分が死んだあと、誰かの守護霊になる準備を今からやらされているんだと、そんな計画が遂行されているんだと、そんな気がしている。

 

彼女の背中。

生きた証。

身長140センチとちょっとのちいさな彼女。

大正14年生まれの祖母。

2011年に他界した。

第二次大戦も経験した。

結婚して、家庭を築いたと思ったら、

長女(私の母)が3歳の時、

長男が生まれてすぐになくなり、同じ年に、旦那さんも亡くなった。

その後、惚れた人と再婚。

だが、彼は仕事がうまくいかず、祖母は一人、家計を支えるため、小さな屋台を始めた。いろいろと苦労の絶えない時間だったみたいだが、50年以上もも経営し、今は兄弟の一人が跡を継ぎ、60年以上経過している。

 

 

彼女は自分の息子と初めの夫が亡くなった話を、涙一つ流さず、ただ淡々と語っていた。涙が出るときは、作り話だった。(これは、彼女が亡くなってから知った)。昔話が一つではなく、いくつかあるうちのどれが本当なのかは、いまだにわからない。

まあ、どうでもいいことだ。勝ち気で、不思議で、魅力的な人だった。

 

 

 

彼女の背中。

沢山の苦労があっただろうに、

苦労は苦労ではないんだと、いつも語っているようだった。

人生、全てが面白可笑しい体験でしかなく、たいしたことないんだと。

 

 

彼女と仲良くするのは簡単だった。

でも、気が合いすぎて、周りが困惑するのを肌で感じていたので、

無意識に、スケープゴートになることを選択し続けていたように思う。

 

 

 

彼女の背中。

「高齢者」という世間の言葉が、彼女の自信を喪失させていた。

子供とか、大人とか、お年寄りとかって、そういう言葉に惑わされちゃいけないんだなと、彼女の背中を見て思った。

人間のみなさん、常識に惑わされずに「生きて」くださいよ、と叫びたくなった。

 

 

 

彼女の背中。

お互い、好き合って、これ以上ないくらい、憎しみ合って…。

好き嫌いを超えたところにある何かを初めて感じることができる。

世間のみなさん、他人のすったもんだに首を突っ込む前に、まず、自らすったもんだしてくださいな、と、言いたくなってしまう…。

 

 

つかれたから今日はこの辺で、、、

 

 

 

母と自分、祖母と自分の関係性で、

モヤモヤ、イライラ、ぷんぷんしている人たちが、

少しでも気が楽になるように、

私も自分のこんがらがった記憶を、一つ一つ整理していけたらなと思います。